高橋建二コラム

当たり前が、当たり前になる社会へ――5期目の覚悟と、娘に注いできた真っ直ぐな水

みなさん、こんにちは。ファザーリング・ジャパン九州(FJQ)理事の、髙橋建二です。

この度、FJQの理事として、5期目の任期を迎えることになりました。1期2年ですので、気づけば9年目に入ります。今回の就任にあたり、私は心の中で「これが最後の期になるだろう」という、並々ならぬ覚応を持っています。

これまでずっと背中を合わせ、共にFJQを引っ張ってきた馬場さんが、4期8年の重責を終えて退任されました。長年、同じ志を持って歩んできた大切な仲間の退任は、正直に言って胸がキュッとなるような、妙な寂しさがあります。しかし、彼がこれまで紡いできた熱いバトンをしっかりと受け継ぎ、この最後の2年間を自分らしく全力で駆け抜けたい、そう強く思っています。

そんな節目の日の朝、2026年6月14日の新聞をめくっていて、私の心を激しく揺さぶる言葉に出会いました。

一つは、元ボクシング世界王者のガッツ石松さんを悼むコラムです。 破天荒なイメージの裏にあった、涙が出るほど深い人間味。現役時代、母親がツルハシの手を止めて、腹巻きから泥のついた千円札をくれた話。なけなしの小銭で、1杯のラーメンを親子で分け合って食べた話。そして、道を外れた子どもを引き取って育てている方の「真っ直ぐ水を与えれば、人は真っ直ぐ育つ」という言葉や、ガッツさんの「俺は人が好きだから」という実直な生き方。 人は、誰かに信じられ、無条件の愛情を注がれることで、初めて他人を信じ、真っ直ぐに育つことができる。その普遍的な温かさが、じわっと胸に沁み渡りました。

「真っ直ぐ水を与えれば、人は真っ直ぐ育つ」

この言葉を反芻したとき、私の頭に浮かんだのは、現在大学2年生になり、家を出て一人暮らしをしている大好きな娘の姿でした。

今は一人暮らしを始めて、お互いにだいぶ親離れ・子離れが進んだなと感じていますが、一応、私たちは今でもとても仲が良い方だと思っています。周りの人からもよく、「どうしてそんなに娘さんと仲が良いの?」と不思議そうに聞かれることがあります。

自分としては、何か特別な教育論を持っていたわけでも、英才教育をしたわけでもありません。ただ、振り返ってみると、愛おしい思い出がいくつも蘇ります。 小さかった頃、毎晩のように布団の中で絵本を読み聞かせたこと。少し大きくなってから、二人きりで行った父子旅行。日本でのキャンプに私の友人親子を巻き込んだり、韓国へ行ったときには現地の私の大切な友達を合わせたり、私の職場にも何度も連れて行ったりしました。父親としての私だけでなく、一人の人間としての私の世界や、そこにいる大好きな人たちを、娘に自然に見せてきた気がします。 1そして何より、妻と私がそれなりに仲良く、笑顔で暮らしてきたこと。

何かを狙ったわけではなく、ただ娘が愛おしくて、親としての、そして人間としての「真っ直ぐな水」を、ごく自然に、当たり前に注いできただけなのかもしれません。だからこそ今、離れて暮らしていても、お互いをリスペクトし合える「丁度良い距離感」の心地よい関係があるのだと、この記事を読んで腑に落ちました。

しかし同時に、世の中を見渡すと、この「当たり前に大切な人に水を注ぐこと」自体が、まだまだ難しい社会であることに気づかされます。

同じ日の新聞に、京都府八幡市の女性市長が産休を取得するというニュースが載っていました。 特別職である市長の産休には明確な法的枠組みがなく、手探りの中で取得されるとのこと。記事は、首長の産休取得が当たり前になり、「ニュースにならない社会を目指したい」という言葉で締めくくられていました。

私は昔から、この手の話題に強い違和感を抱いてきました。 そもそも、仕事で高いパフォーマンスを発揮するためには、その土台となる家庭やプライベートが満たされ、心が安定していることが不可欠です。産休も、育休も、あるいは有給休暇だって、決して「キャリアのストップ」でも「組織への足踏み」でもありません。心身を整え、新しい命を迎え、大切な家族との時間を過ごすことは、人間として、親として、そして働くプロフェッショナルとして、あまりにも当たり前の権利であり、必要なプロセスです。 こんな当然のことが、いまだに大々的なニュースとして取り上げられ、特別なことのように議論される現状そのものが、どこかおかしい。そう思わずにはいられないのです。

私が娘と過ごしてきた絵本の時間も、旅の時間も、決して特別な特権ではなく、本来であれば誰もが当たり前に選択でき、心から楽しめる時間であるべきです。

私たちがFJQで目指してきた「笑っている父親を増やす」というミッション。それは単に「お父さんも育児というタスクをこなそう」という表面的な話ではありません。 父親が家庭を大切にすること、産休や育休を取ることが当たり前になり、誰も特別視しない社会にすること。切してその結果として、すべての大人が心にゆとりを持ち、目の前の子どもたちに、それぞれの「真っ直ぐな水」を迷わず注げる土壌をつくることです。

馬場さんが抜けた寂しさは、確かにあります。でも、彼と共に築き上げてきたFJQの精神は、私の胸の中でさらに熱く燃えています。 産休や育休がニュースにならないくらい当たり前の景色になるまで。

そして、すべての子どもたちが、大人からの温かい水を受け取って真っ直ぐに育っていける社会になるまで。 この最後の2年間、髙橋建二らしく、おもいっきり楽しんで、おもいっきり動いていきたいと思います。

これからも、一緒に笑う父親を増やしていきましょう。どうぞよろしくお願いします!